究極の板書
「先生って字綺麗ですね」
「あッ、、ありがとう」
「図とかもメッチャ上手ですよね」
「あッ、、ありがとう」
「学校の先生なんて黒板にほとんど字書かないし1人でしゃべってるだけ。字も汚いし」
と、板書について生徒との会話。
字が綺麗は素直に嬉しいですね。図も確かに上手かも。なんと言っても自宅にホワイトボードと黒板がありますから好きなだけ練習できます(笑)。実際に練習してたし、そのために買ったわけだし。。。上手で当たり前です。
しかし究極の板書とは「何も書かないこと」と思っています。それは何故でしょうか?
①そもそも板書する時間がない(限られている)…学校の先生もそうですが、塾でも休み時間があります。休み時間は5分~10分程度ですよね。その僅かな時間で板書するのは実は大変。イレギュラーなことも起こりますから。
②板書に頼った授業になるので一方通行になることが多い…話が長い場合はこのケース。
★時間を掛ければ立派な板書になるが、あくまでも出来る能力があってのこと。
例外もありますよ→そもそも書くつもりがない。書けない。書く技量がない。まあ、論外です。
それでは、板書なしの授業は上手くいくのか。答えはYES
説明しながら板書すればいい。しかし、板書のスピード、書く姿勢、量、色使い、字の大きさ、すべてが適切でないとNH○の講義みたくなります(笑)何が必要なのかを判断しながら必要最小限のポイントを板書するのです。このようなことはかなりの高レベル。豆テストの間に板書するのもいいですが、あくまで枝葉の技。まあ、事前に綺麗に板書してそれを褒められても私は嬉しくとも何ともないですね。
という訳で、学校の先生は板書する時間がないのです。それを想定しての授業構成なんですね。
板書しないんだよ~、、、、って言っても、それが普通。
究極は、板書なしから展開する授業、その技量です。

